まだ、書いてない事があった。最大の当たり役は言うまもなく「曾根崎心中」のお初である。上演回数実に1400回。僕も何度も見ている。歌舞伎は型を見せる物だと言う。藤十郎は出すたびにその型を変えるのだ。だから、今度はどうやるのか、見る方が楽しみになってくる。一ヶ月の上演期間の中、初日近くと楽日近くと二回見た事がある。この時、一度目と二度目とはちょっと違っていた。自分に納得のいくまで変える、また、観客が飽きないようにする為だ。最大の当たり役、何度もやっていながら決して満足せずに挑戦を続ける、その姿勢が素晴らしい。
僕にとってこの人が生きて動いている「上方和事」だった。「封印切り」の忠兵衛も「川庄」の紙屋治兵衛も、とても素晴らしかった。彼は「封印切り」の忠兵衛は何度も演じているが、おえんを演じた事もある。それは孝夫が十五代目仁左衛門を襲名したときの大阪松竹座公演だ。仁左衛門が忠兵衛なら鴈治郎(当時)は梅川だろうかと思ったが、梅川は新仁左衛門の兄秀太郎に譲り、鴈治郎はおえんにまわった。そのおえんが抜群の出来。素晴らしい舞台だった。
近松座公演も何度か見た。この人はスターだった。つまり、藤十郎と言う名前だけで客が呼べるのだ。だから、近松座のような実験的な公演も行えたのだ。僕はスターの仕事とは、知名度は無いが、是非見て欲しいものを上演し、その作品の良さを広く知らしめる事だと思う。藤十郎はスターの仕事を十分にはたした。
この人の本領はやはり女形だろう。しかし、彼が女形にまわると相手をする人がいない。それが最大の不幸だったのではないか。また、何でも演りそれなりの出来ではあるが、お初以外に決定的な当たり役がない。また、封印切りの最後、花道の引っ込みがあまりにもしつこい、これらが欠点だろう。
ちょっと面白いところでは、熊谷陣屋の相模が面白かった。初めの方で、熊谷が軍次に引っ込めと命じるのだが、相模がこれと言って軍次の裾を引っ張る。ここで、相模の罰のわるさ、かわいさが出ている。ここが面白い人は他に見たことがない。また、「堀川波鼓」のお種がよかった。今は無き中座で見たのだが、とても良かった。去年何十年かぶりにこの芝居を
顔見世で見たのだが、やはりこのお種は藤十郎のものだ。彦九郎が好きで好きでたまらなくてそのために過ちを犯してしまう、そんな情の深すぎるところが藤十郎にぴったりだった。去年の顔見世は時蔵が演ったが、良くなかった。時蔵は決して下手では無い、仁ではないのだ。
前回書いた通り、僕が最後に藤十郎を見たのは顔見世だった。まだまだ綺麗だった。だから、僕は藤十郎がきれいだった事しか覚えていない。本当に藤十郎はきれいな人だった。女形が、と言うより、舞台俳優が自分を美しく見せるのは芸の力によるものだ。思えば、藤十郎は観客に老残老醜を見せなかった。だから、われわれファンは、きれいな藤十郎だけを覚えている。この事が最後のファンサービスになった。
藤十郎はきれいな人だった。この人の舞台を見る事が出来て良かった。この人と同じ時代に生まれて良かった。本当にそう思う。
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by derletztetanz
| 2020-11-20 23:23
| 歌舞伎
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