それにしてもよく入っている。僕はこの映画は2回見た。一日目は9月13日、2回目はその一週間後の20日。両日とも日曜日の午後と言う時間帯だからだろうけど、よく入っているな、と感じた。こんな田舎のイオンシネマでさえこの入り具合。観客の大半は女性、男女カップルがちらほら。男性一人は僕くらいなもの。この映画はいわゆるBLと呼ばれる漫画を原作としている。こういう類いの映画では以前「
性の劇薬」を見たが、それよりはずっとよく出来ている。
それは何故か。ノン気の男女が良く描かれているからだ。
映画は大伴恭一(大倉忠義)が今ヶ瀬渉(成田凌)と再会する所から始まる。今ヶ瀬は大伴の大学時代の後輩、今は興信所で調査の仕事をしている。その仕事が大伴の浮気調査。今ヶ瀬は大伴の浮気を黙っている代わりに性交渉を求める。
この大伴恭一と言う男がこの映画の最大の悪役なのだ。とにかく優柔不断。学生時代につきあっていた夏生(さとうほなみ)が、学生時代に恭一が「流され侍」と呼ばれていたとか、ハーメルンの笛吹き男にほいほいついていくネズミだとか言っている。ただ単に状況に流されるだけなのだ。
現在の妻知佳子(咲妃みゆ)と結婚したもの単なる成り行き、浮気をしたのも相手の女に言い寄られて、断れなくなったから。この映画はR15指定である。恭一が浮気相手の女とヤるシーンがあるが、正視に耐えない。なるほど、こんなえぐいシーンがあるから制限がついたのか。そんな妻が何故浮気調査を依頼したかと言うと、自分も男が出来てその男と一緒になりたいからなのだ。恭一は妻の浮気に全く気づいていない。全く呆れるばかりだ。妻は自分にとって有利な条件で別れる為に浮気調査を依頼したのだ。本当に女という奴はしたたかである。
大伴恭一の最大の罪は美貌であること。こんなダメ男が醜男なら誰も寄ってこない(マニアを除く)。この映画では女受けのする美貌の大倉忠義が演じているが、ゲイ受けはあまりしないような容貌だ。ゲイの世界は厳しい。見た目がすべて、なのだ。だから、女が次々と被害者になる。もしかして、これほどの美貌だからこんなに受け身な性格になったのだろうか。これくらいの美貌の持ち主なら自分から行かなくても、いくらでも向こうから寄ってくる。
妻と別れて一人になった大伴は今ヶ瀬と同棲するようになる。最初はセックスを拒んでいるがだんだん受け入れるようになる。なるほど、気持ち良いことはしたいのだ。この二人のセックスシーンはなかなかきれいだ。アナルセックスだけでなく、フェラチオも見せるところが以前見た「性の劇薬」とは違うところ。
大伴は学生時代につきあっていた夏生と再会する。しかし、今ヶ瀬と同棲している。夏生と今ヶ瀬が大伴を巡って鞘当ての最中に大伴がやってくる。夏生に、どっちを取るの、と言われて答えられない。大伴は異性愛者なのだから断ればいいのにそれが出来ない。そういう所が情けないのだ。しかも、その後、夏生とホテルに行ったのは良いが勃たないのだ。女に恥をかかせるなんて最低である。夏生に、あんた本気で人を好きになった事あるの、と問われてなにも言えない大伴。そう、彼は自分を好きになってくれる人について行っているだけなのだ。
次の犠牲者は大伴の部下、岡村たまき(吉田志織)。彼女は大伴の務める会社の役員の娘である。娘、と言っても妾の子なのであるが。今ヶ瀬と同棲しながらも大伴はたまきと婚約する。しかし、彼女が家に泊まらないからと今ヶ瀬とセックスを楽しむのだ。
ここに出てくる三人の女性はどれも気の毒だ。大伴の妻は確かによそに男を作ったが、それは大伴のせいでもあり、大伴自身が浮気している。しかし、一番気の毒なのは今ヶ瀬だ。ダメ男、異性愛者なのだから決して自分のものにはならないと解っていても、思い切る事が出来ない。ラスト近く、別の男とセックスしながらも泣き出す今ヶ瀬がなんとも哀れだ。もっとも、二人ともパンツをはいたままセックスしているのは滑稽だが。
人を愛するとは、これほど苦しく、つらく、哀れな事なのだ。ダメな奴、最低な奴、と解りながらもどうしても嫌いになれない。それでも、人を心から好きになるのは良いことなのだ。結局この映画はこのような人間の業を描いたところがいいのだろう。
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