これはNHK教育で放送された今年の日本音楽コンクールの声楽部門のドキュメントである。この番組を見ようと思ったのが、びわ湖ホール声楽アンサンブルの卒業生である益田早織さんが入賞者としてこの番組に出演していたからだ。
同じコンクールでも声楽部門はちょっと違う。まず年齢が35歳までと高い、それに、すでにオペラ歌手としてデビューしている人も挑戦している。また、他に職業を持っている人も挑戦している。本職は耳鼻科の医師だとか、会社員だとか。
驚いたのは小堀勇介氏が挑戦した事。この人はすでにデビューしていて、びわ湖ホール大ホールのオペラ公演にも出ているし、中ホールで「連隊の娘」を上演したとき主役で超難関のアリア「今日はとてもすばらしい日」を歌い、拍手喝采を浴びた人だ。それに「ランスへの旅」にも出演している。こんな難しいオペラに出ている人なのに何故、と思った。彼の話によると、この日本音楽コンクールは格別なのだそうだ。結果は一位。ロビーで御贔屓さんと一緒に喜んでいるところを映していた。
それに、歌手に必要なのは、自分の声にあったレパートリーを見つけること、それも早く。それが、歌手生命を充実して長く続けていく秘訣だと話していたことも印象に残った。
テノールの吉田一貴氏は引っ越しのアルバイトをしながらコンクールを受けている。この人は工業高校の出身で電気工事とか旋盤の資格もあるとか。肉体労働の後歌うのはつらいそうだ。なんせ歌手、特にテノールは「肉体労働者」なのだもの。戦争中、慰問に行ったときテノールだけは「重労働手当」を貰っていて、それに文句を言う人はいなかったとどこかで読んだ覚えがある。この人は、特に発声練習を念入りに、一時間くらいかけるのだそうだ。
本選では「冷たい手を」歌った。高いCになる寸前になると、見ているこちらも思わず力が入り、Cが決まるとこちらまで「やった!」と言いたくなる。結果は3位。
この吉田氏と反対に発声練習をほとんどしない、と言うのがバリトンの小林啓倫氏。この人は小堀勇介氏と大学の同級生でライバル、すでにオペラデビューしていて、妻子がある。音楽家向けのマンションに住んでいて、防音室があるが練習できる時間は決まっているし、歌手が声を使える時間は決まっているのだそうだ。
それにしても、テノールやソプラノは派手で聞かせどころがたっぷりあるが、バリトン・バス・アルトはそんな派手さがないのでちょっと苦しいなと思った。ただ、僕がレコードやラジオでオペラを聞いていた時はソプラノやテノールよりも、バリトン・バス・アルト・メゾソプラノの方が好きだった。確かにテノール・ソプラノは派手で主役だが、単純バカみたいな役が多い。しかし、ドラマとして大切な役「美味しい」役はバリトン・バス・アルトなのだ。それに、テノールとソプラノは実際に劇場で聞かないと値打ちがわからない、と思う。
益田早織はどうした、益田早織を早くださんか、とテレビに向かっておこりたくなったとき、やっと彼女のインタビューが出てきた。もしかしてびわ湖ホールでインタビューを受けたのではないだろうか。びわ湖ホールで「ヘンゼルとグレーテル」のお母さんを歌った時の写真が映し出されていた。挑戦し続ける事が演奏家としての矜恃と言うような事を話していたのが印象に残った。それに、この人のたっぷりした声を久しぶりに聞けて良かった。
この番組で一番印象に残ったのはバスの奥秋大樹氏、26歳。バスと言う声域、大柄だし髭面だから年いっているように見えるが、確かに若い。彼の師匠が、バスで26歳と言うのはしんどい、と言うがその通りだと思う。彼が本選で歌ったのはロシア音楽、ロシア音楽に大切なのは魂だと師匠は言う。それに師匠が要求する事が難しい。そこはきれいすぎる、もっと心を、魂を、と師匠は言うがこれは26歳の彼にとってはとても難しいと思う。
本選の映像でアリアを歌い終わった時、オペラの登場人物から奥秋大樹になった瞬間をとらえたカメラがお手柄。オペラ歌手はタキシードや燕尾服の時も、オペラアリアを歌う時はその役の顔になるのだ。
こうやってみていると、音楽だけで食べていく事がいかに難しいか、それが改めてちょっとはわかる気がする。それでも、挑戦し続ける歌手に拍手を送りたい、真にそう思った。
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