京都コンサートホールに来るのは何年ぶりだろうか。駅からの行き方はわからなかったが、着物を着ている人について行ったらすぐわかった。
全席自由なので、良い席に座れた。一階15列18番、ステージとほぼ同じ高さ。ホールのほぼど真ん中だ。
コンサートに先立ってミス・着物の発表があったがそれはパス。ロビーでうろうろしていた。なんせ着物の人ばかりだから壮観なのだ。
指揮は名古屋フィルハーモニー交響楽団指揮者の川瀬賢太郎。オーボエがAの音を出すとわくわくする。いつもの宝塚のオケとは感じがだいぶ違う。
まずは、チャイコフスキーの「オネーギン」からポロネーズ、ついでラヴェル「マ・メール・ロワ」。僕が京響をよく聞いていたのはもう20年から30年前になる。その時は下手だった。忘れもしない、最初に聞いたのは「春の祭典」。最初のファゴットのソロからしてボロボロだった。最後まで止まらずに行けるのか、聞いている方がはらはらする始末。それでも、聴衆は文句を言わなかった。「あの」京響が「春の祭典」に挑戦し、最後まで止まらずに行けた、その事だけに満足していたのだ。それに当時の京響の褒め言葉は、今日の京響は上手かったとても京響とは思えないくらいだった、と言う物だった。
チャイコフスキーは以前から得意だったが、ラヴェルは・・・と思っていたのだが、これがなかなか良かった。粋なのだ。ラヴェルの持っている、鮮やかですっきりした音色、それに粋なところが良く出ていた。
幕間のロビーは、当たり前だが、着物の人で一杯。壮観だった。それにしても男の着物って地味。僕ももっと派手な着物が着たい。そうそう、この日の僕の出で立ちは、茶色のウールの長襦袢(寒かったもんで)、茶色の着物、焦げ茶の羽織、グレーのシルクウールの袴、白足袋。着物と羽織は勿論正絹。男性はアンサンブルが多いけど、アンサンブルでないほうがお洒落な気がする。それに、年配の人は兵児帯の人が結構いたが、若い人は皆角帯だ。
休憩後はチャイコフスキーの交響曲第四番。これがものすごく良かった。昔から京響はチャイコフスキーは得意としてきたが、この演奏はとても良かった。情感にあふれ、情熱的で、しかもダイナミック。ブラボーがかかったくらい。機会があればもっと京響をきいてみたい。
それから、これはどのホールもそうだろうけど、目立つのはバルコニー席。僕の席から二階三階のバルコニー席がよく見える。音がいいのはどこだろうか。もしかして三階の正面最前列ど真ん中くらいだろうか。
終演は午後4時。特に行きたい所もないから帰宅の途についた。途中地下鉄の御池で乗り換え。その駅のパン屋でちょっと休憩。ビールがあったのでビールにした。コンサート帰りの着物姿の人も結構いた。とても楽しい一日だった。
これが気に入ったら下記を
「ぽちっとな」とクリックしてください
人気ブログランキングへ