
2月は宝塚大劇場に二回行く事となった。なんせ、チケットがそういうようにしか取れなかったのだ。僕が宝塚を見始めた時は、今度の日曜日暇だから宝塚でも行ってこようか、と言うノリだったのだが・・・。見たのは2月28日(土)11時開演の部。
入ってみると相変わらず従業員は全員バカマスク、かと思ってがっかりしたのだが、まともな、つまり素顔の職員も少数ながらいた。席につくと左隣がバカマスクのおばはん、右隣はまとも、かと思ったらマスク着けた。あまりのあほらしさに思わず笑えて来た。
今回の花組公演、芝居は グランド・ラメント「蒼月抄」-平家終焉の契り- 。ラメントとは挽歌と言う意味だそうだ。この作品の作演出は熊倉飛鳥。今回が大劇場デビューだと言う事だ。指揮は芝居・ショーとも佐々田愛一郎。前回と同じく、会場が暗くなったらすぐマエストロにスポットが当たった。
この作品は平家物語を素材としたオリジナル作品だ。なかなか見応えがあった。前回の「恋する天動説」が凡作だったせいで余計出来が良いように思えてくる。舞台は壇ノ浦の戦いから数十年後、四条の局(朝葉ことの)が後高倉上皇(天城れいん)に請われるまま平家の栄華と滅びの物語を琵琶にのせて語り始める。
物語は平家全盛の時、「平家にあらずんば人にあらず」と言われた時代に遡る。平清盛(英真なおき)が主催する宴に藤原忠雅(柴門ゆりあ)が娘の明子(星空美咲)を連れてやってくる。清盛は明子を息子の知盛(永久輝せあ)の嫁にしようとする。明子は清盛が亡くなると平家は滅びると言う。ここがまず面白かった。ま、こんな事ありえないが、面白い解釈ではないか。
また、知盛が明子に夢を語る場面が面白い。月が煌々と輝く庭で、知盛が「とつくに」への夢を語る。この場面を見ると平家は船乗りの家系かと思う。この場面に、回想シーンが出て若き日の清盛と知盛が舟に乗っているところが出るのが面白かった。
この芝居で特に上手い思ったのが、見せ方のうまさだ。特に感心したのは一ノ谷の戦いの場面である。これは義経が断崖絶壁から奇襲攻撃をかけて成功した戦である。舞台は平家側から見ている。背景の断崖を表す緑色の背景に馬の映像が映る。次にその背景が真ん中からわかれその後ろに大階段があり、そこに源氏の軍が控えていて、降りてくるのだ。
史実ではその次は屋島になるのだが、すっとばして壇ノ浦となる。知盛を始めとした平家の人々は、平家の生き残りをかけて戦っている。しかし、ここで考えが変わる。平家は自分たちが滅びるとわかって戦っている。そこが実にかっこいい。それが平家物語につながっている、と言う話となって終わる。
プログラムを読むと熊倉氏が平家物語はもとより、義経千本桜までよくしっていて、そこから自分独自の平家の物語を作り上げている事がわかる。この人の上手いのは見せ方だ。次回作が楽しみだ。
続くショーは "EL DESEO" スペイン語で欲望と言う意味だそうだ。作演出は指田珠子。この人の作品を見るのは初めてだ。この人の大劇場デビューは2024年「RRR」が星組で上演された時のショーだと言う事だ。
今回のショーは「ラテン」との事。ただ、どこと場所を指定する事も、「黒塗り」にする事もないが、実に情熱的なショーになっていた。幕開きからして面白い。プロローグがあって大きな花の中からトップが出てくる、と言う演出なのだ。
一番面白かったのは、タンゴの場面。トップが着ている紺のスーツが見るからに上等だ。たぶんスパー100以上の生地を使っているのではないだろうか。実に光沢がある。そのスーツの使い方が上手いのだ。上着を脱いで、振り回したりする振りが実に新鮮で面白かった。また、この場面は物語仕立て、舞踊劇のようになっていたのも面白い。
中詰めは「ラ・バンバ」。この時、客席降りとなる。この時二階にも来てくれたのだが、今までとやり方が違うのだ。今までだと客電が明るくなって一階席で客席降りが始まりそれを見ていると二階にも来てくれる、と言う形だった。今回は、まだ全体が暗いうちから二階席に来てくれるのだ。また、ロケットの出方も変わっていた。ロケット隊が大階段から降りてくるのだ。
今回芝居もショーも面白かった。熊倉飛鳥・指田珠子、これからの活躍が期待できる。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください。

「木挽町」と聞いただけで、わかる人はわかる。歌舞伎と関係がある事を。なんせ、木挽町と言うのは現在の歌舞伎座があるところ。もっとも、地名は変わっているが。この映画、公開初日に地元のイオンシネマで見てきた。平日のこの時間帯ならこんなもんか、と言う入り。
これは予告編を見たらどんな話かある程度は予想はつく。文化7年1月16日、江戸森田座近くで、仇討ち事件が起きた。美濃藩士伊納菊之助(長尾兼杜)父清左衛門(山口馬木也)を殺して逃げていた、同家の下男作兵衛(北村一輝)を打ち取った。それから一年後、同じく美濃藩士加瀬総一郎(柄本佑)が、江戸森田座にやってくる。そして、加瀬総一郎は言う、菊之助は優しい男で虫一匹殺せない、と。
と言うことは、この仇討ちが狂言だったとか、もしくは仕掛けがあったのだ。つまり、この映画の見どころは加瀬総一郎が如何にして、そのからくりを解いていくか、そして真相はどうだったのか、と言う事なのだ。
この真相・からくりが明らかになって、あっと驚いた。まさかこんな真相・からくりだとは思ってもいなかった。原作小説は直木賞・山本周五郎賞を受賞しているというのが売りだが、ミステリとしても高い評価を受けているとの事。さもありなん。ただ、だから、時代劇としての面白さと推理ものとしての面白さを両方兼ね備えているのである。
また、このトリック・からくりが成り立つのは、江戸森田座と言う芝居小屋・芝居町だからこそである。つまり、芝居小屋は一種の異空間なのだ。そして、そこがひとつの町になっていて、いろんな人がいる。また、真相と言うのは時代劇だからこそ成り立つ。現代とは倫理観が違う。そこが時代劇ならではの面白さとなっている。。
それに芝居町の人々の様々な出自がまた見どころになっている。この事件の黒幕とも言える狂言作者篠田金治(渡辺謙)は元武士、菊之助の父母と知り合いでもある。そして、菊之助は母から森田座に行くようにと言われていて、ここ森田座にたどり着いたのだった。殺陣師相良与三郎(滝藤賢一)は元江戸の有名道場の師範代。木戸芸者一八(瀬戸康史)は吉原生まれ。そんな多様な人々を受け入れているのが芝居町なのである。
沢口靖子が出ているのに驚いた。彼女の役は菊之助の母、つまり武家の後室。この人がこんな役を演るなんて意外だった。裾を曳いた着物がよく似ている。ただ、この人が座っているところしか写さない。これは監督の技だ。裾を曳いた着物で動く、歩くのはよほどなれた人でないと難しいのだから。また、二代目芳澤ほたる役の高橋和也がうまい。女形の初代ほたるから二代目を名乗る事を許されたがこの人の誇りだ。出番はあまり多くなく、それほど重要な役でもないが、印象に残る。特に、先代の残した振袖を菊之助に見せるところがいいのだ。また、その振袖の見事な事。典型的な赤姫の衣装なのだ。また、「芳澤ほたる」と言う名前が良いではないか。たぶんあやめに対するオマージュだと思うが、「ほたる」と言うのが意味深だ。
それになんと言っても良いのが加瀬総一郎役の柄本佑だ。YouTube の動画で監督から刑事コロンボでやってくれと言われたと言っていた。その通り、森田座にやってきたときは、汚れたよれよれ着物、その上文無し。それでいて人懐こい。誰からも好かれるようなタイプで芝居町の人からいろいろ話を聞きだす。ただ、芝居町の人々もこの男が只者でない事に早々に気が付く。
またこの映画のみどころの一つが美術と衣装である。芝居小屋が出てくるので実在するところ、例えば四国の金丸座あたりでロケをしたのかと思ったら、東映京都撮影所に森田座を再現したのだそうだ。かたき討ちは雪の日にあったのだが、その雪が見事だ。また、衣装もいかにもその人らしい。
「木挽町」と言う題名だから歌舞伎が大切な要素となっている。僕がびっくりしたのは「寺子屋」の最初の方の場面が劇中劇として出てくるところだった。初めの方で源蔵と戸浪の場面だったが、戸浪を演っていたのが千寿だった。
この映画、歌舞伎が大きな要素となっているから松竹の製作かな、と思ったら東映だった。でも、よく考えてみたら。娯楽時代劇は東映の得意とするところだ。歌舞伎を扱った映画は去年大ヒットした「国宝」があげられるが、僕はこの「木挽町のあだ打ち」の方がずっと面白かった。見終わって初めて気が付いたのだが、この作品の題名が何故「仇討ち」ではなく「あだ打ち」なのか、それは映画を見たらわかるようになっている。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください。

びわ湖ホールでオペラが上演されると、その前に「プレトーク」と称して演出家・指揮者がみどころ・ねらいを話し、出演者が「さわり」を歌ってくれるイベントがある。今回は3月7・8と上演されるプロデュース・オペラ「トゥーランドット」のプレトーク。開催日は2月23日(月・祝)三連休の最終日、場所はびわ湖ホールの中ホール。今回午前10時半開演だった。結構入りは良かった。中ホールの1階だけを使っていたけど、7割から8割程度の入りだっただろうか。
今回の出演者は指揮者でここびわ湖ホールの芸術監督阪哲朗と演出家の粟國淳。プロデュース・オペラとして「トゥーランドットが上演されるのは2回目。初回は沼尻竜典が芸術監督の時だった。前回の演出も粟國淳。
いろいろ話が出てけど、僕が面白いと感じた事を書いておこう。
これは良く知られている事だけど、「トゥーランドット」は未完に終わっている。でも、プッチーニが急病で完成できなかったとか、完成させるつもりはあったけど寿命が足りなかった、のではなくで行き詰ったのだとか。プッチーニが完成させたのはリューの死まで。誰が補筆完成させるかで、プッチーニの遺族と初演を指揮したトスカニーニとの間にいざこざがあった。それで、初演の時、トスカニーニは、わが師プッチーニが作ったのはここまでです、と一旦音楽を止めたのだそうだ。原因の一つが補筆完成させたアルファーノがトスカニーニには気に入らなかった事だそうだ。この補筆完成版は無理やり終わらせた感がある。プッチーニはこの作品を最初から書いて行ってそれが行き詰まりの原因かもしれない、との事。そういえば、以前三島由紀夫は小説は最初の一行が決まったら書き始める、戯曲は最後の台詞が決まってから書き始める、と言っていたことを思い出した。
またこの物語は「寓話」「おとぎ話」である。トゥーランドットもリューも象徴にすぎない。リューが人間の暖かさの象徴である。また、リューは女奴隷であり、最下層の人間である。また、トゥーランドットもただ単に怖い・冷たいお姫様ではない。
プッチーニはレハールと交流があったようだ。また、プッチーニの時代には自動車ができ、映画が出てきた。そのせいか、プッチーニのオペラはテンポが早い。「トスカ」なんかオペラの時間と実際の時間がシンクロしている。また、プッチーニはダレるからと言って Vissi d'arte までカットしようとした。
このオペラのテーマは、愛、報われない愛、無償の愛、ともとれる。それで思い出したのが、以前職場であった話。
以前勤めていた職場には名物男がいた。仕事はできなかったが、いい奴で皆に可愛がられていた。彼があるとき、愛は金で買えるのか、と聞いた。そこで皆が考えた答えはこう。本物の愛は金では買えない、それは、愛と言うものは金で売り買いするものではないから。でも、愛「のようなもの」は金で買える。例えて言うなら、本物の蟹は金では買えないが、カニカマは買える。おまえのような奴は、これホンモノですよ、と言われて偽物をつかまされるから気をつけろ。
一旦休憩があってその後、質疑応答となった。今回、歌手が出ることもなく、質疑応答も全部の質問に答えたわけでもなかったのか不満だった。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください。

この映画、結構話題になっていた。なんせ監督がヨルゴス・ランティモス、製作がアリ・アスター、主演がエマ・ストーンなのだから。この映画、実は再映画化だと言う事だ。オリジナルは韓国映画だとか。
見たのは2月21日(土)、三連休初日。僕の行ったイオンシネマでは入っていた方だと思う。これでヨルゴス・ランティモス作品を見るのは三度目。「哀れなるものたち」「憐みの三章」に続いて三作目。
「哀れなるものたち」は結構面白かったが、「憐みの三章」つまらなかった。で、今回の「ブゴニア」が僕の見たランティモス作品で一番面白かった。
カリスマ的な人気を誇る製薬会社の社長ミシェル(エマ・ストーン)が誘拐された。犯人は郊外で養蜂を営むテディ(ジェシー・プレモンス)とドン(エイダン・デルビス)の2人組。彼らは陰謀論にどっぷりはまっている。曰く、宇宙人が地球人に化けてこの地球を支配しようとしている。その宇宙人と言うのがエマなのだ。ミシェルの髪の毛が通信機となっているからと、髪をそり落とす。
映画の最初にミシェルの日常生活が描かれるのだが、彼女は身体を鍛える事にも熱心で護身術を習っているようだ。だから、男二人に襲われても簡単に誘拐されはしない。このシーンが結構面白い。ミシェルは専属トレーナーやマシンを使って鍛えているのに、このテディとドンは自宅で腹筋したり、腕立て伏せやったり、と言う感じなのだ。こんな鍛え方だからミシェルを簡単に誘拐できないのだ。
ところどころ白黒の回想シーンが挿入される。どうやらテディの母親はミシェルの会社で作っている薬のせいで寝たきりになっているようだ。もっとも会社は、母親を病院に入院させ、治療しているようだが。なるほど、こういう事があるから、陰謀論にはまったのか、とも思える作りになっている。またテディはミシェルの経営している会社の製品を梱包する工場で働いてもいる。
はっきり言ってこの映画前半は結構退屈だ。何か「笑えないコメディ」を見せられているような感じさえする。また、テディの知り合いの警官が何か意味深だ。この警官は、元テディのベビーシッターだったようなのだ。警官はテディに昔の事を謝っているのだが、具体的に何があったのかはわからない。そういうところ、どこ居心地の悪い感じがする。
この映画PG12の扱いだ。それは残酷シーンがあるから。なんせ、血糊を大量に使うのだ。ミシェルが返り血を浴びて真っ赤になるシーンまである。そのシーンからラストまでが、まさかまさかの連続なのだ。そこから俄然面白くなってくる。テンポも速くなってくる。そして、え!!と言うような展開となって行くのだ。
僕はミシェルが、アンドロメダ星人が地球をどうしようとしているか話すが、ミシェルまでもが陰謀論にはまったのか、若しくは、はまった「ふり」をしているのか、と思った。
そして、ラストシーン。思いもよらないラストとなっている。しかし、それ以外どのようなオチのつけ方があるのか、とさえ思われてくる。そして、平和になった地球をみせられると、これでよかったのだ、とさえ思えてくる。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください。
ちょっと前の話。
信号待ちの時、僕の前に止まっていた車の車種が「MEGANE」。え!「メガネ」って言う車があるなんて!!
よく見ると、左下にメーカーの名前があった。"RENAULT"、なるほどフランス語で読めば良いのか。
でも僕はフランス語は苦手、しかも、一旦「メガネ」と読んでしまうと、もうそうとしか読めない。
職場の同僚に話してみてもらちはあかない。
翌日、同僚の一人が教えてくれた、これは「メガヌ」と読むのだと。
なーんだ、すなおに読めば良かったのだ。
でもね、一旦「メガネ」と読んでしまったから、別の読み方できなくなってしまったのですよ。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください。