この事を知ったのは僕が毎朝通勤途中のカーラジオで聞いている「ありがとう浜村淳です」と言う番組の中。
帰宅してから元の記事はと探して見つかったのがこの記事。見てみたら・・・・大和悠河を人寄せパンダにしている。
これは東京二期会の公演である。どんな公演か
hpを見てみると
演出がペーター・コンヴィチュニー、と聞いてどこかで聞いた事があると思ったらびわ湖ホールででもオペラを演出、また、ワークショップをやっているのだ。ドイツをはじめ、世界中で活躍している。又この公演はハンブルク州立歌劇場との共同制作とのこと、ということは大がかりな公演なのだ。そこに呼んで貰えるなんて、よほどの事ではないだろうか。
それに今回面白いと思ったのは、台詞が日本語で歌が原語のドイツ語である事。以前びわ湖ホールで「連隊の娘」「ホフマン物語」みた時、なにも台詞までフランス語にすることないのに、と思った事がある。歌は原語で、台詞は日本語でと言うは極自然な事ではないか。
この公演は7月18・19、21・22の4回でダブルキャスト、コンヴィチュニーや二期会の歌手では客が呼べないから、大和悠河を使ったのだろう。ま、本人も納得ずくならよし、としておこう。
ただ、場所は東京文化会館のみ。びわ湖ホールでやるのなら見てみたのだが。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください
七月の松竹座は染五郎改め十代目幸四郎と幸四郎改め二代目白鸚の親子二代同時襲名披露公演。昼の部を7月14日に見てきた。とにかく暑い日で、暑さのあまり冷房の効きがちょっと弱かった。
十代目幸四郎の襲名披露演目は「勧進帳」の弁慶。はっきり言ってこの人の仁ではない。この人は和事の人。女方もよく似合う。それで出来は、と言うと、以外に、とあえて言うが、上出来であった。一番良いのは最後の飛六法で、客席に向かってお辞儀をしなかった事。この場で弁慶がお辞儀をして感謝の意を顕すのは櫓の神様であって、観客ではない。それが今では忘れられ、観客が自分に対してお辞儀をしていると思い拍手する。だから、それを抜いたのは正解。
それから、義経を打擲するとき、思い入れをしなかった事。思い入れをしたら、この強力が義経だと一変にバレるではないか。それに、前半は恒に下手よりにいたこと。後半になって初めて中央に出た事がいい。つまり、義経を守る気があると言う事だ。それに、関を越えたときほっとした感じだ出ていた事も良かった。
悪いのは、変に低い声を出そうとするところ、四天王を金剛杖で押さえるところが「むく犬の喧嘩」になっているところ。
その相手の富樫は仁左衛門、義経は孝太郎。お江戸の役者が勧進帳を出せば、上方の仁左衛門が富樫で迎えると言うのは決まったようなものだが、なかなかいい。ここで藤十郎の義経が欲しいところだが、孝太郎の義経も頑張っていて良い出来だ。とにかく行儀の良い義経になっているのがいい。それに仁左衛門の富樫が悪いはずは無い。
それにしても、幸四郎の義経を見てみたい。この人の本役である。さぞ良い義経になるだろうに。
二代目白鸚の襲名披露演目は「河内山」である。今回は前半の「質店上州屋見世先」は無し、いきなり松江候屋敷。歌六の松江出雲守がいい。すっきりとした口跡に一本気でわがままな感じが良く出ている。それに、河内山にやられて立ち上がり退出するところに悔しさが表れて実にいい。それから、彌十郎の家老が堂々たるもの。ただ、錦吾の大膳は敵役なのだからもう少しふてぶてしく、にくたらしいところがあっても良いとおもう。なにか子悪党にみえるのだ。大悪党の河内山に新白鴎。この人得意の演目だから悪いはずがない。黙阿弥の七五調の台詞が耳の心地良く、最後の「ばーかめ」も決まっていた。
最初は、孝太郎の傾城、壱太郎の新造、歌昇の太鼓持ちで「廓三番叟」。孝太郎の堂々たる大夫ぶりがよかった。それから、「車引」。鴈治郎の梅王丸、扇雀の桜丸、又五郎の松王丸。久しぶりに江戸の型でみる。つまり、最初から北野天満宮で、桜丸も隈取りを取っている。すべてが様式的な芝居だか。様式美だけで見せる事に成功していた。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください
宝塚大劇場に柴田作品が帰ってきた。この「凱旋門」は18年ぶりの再演で、宝塚歌劇では大変珍しく、18年前と主役は同じく轟悠である。原作はエーリッリ・マリア・レマルク、代表作である「西部戦線異状なし」読んだ事があるけど、この「凱旋門」は未読である。脚色は柴田侑宏、演出・振り付けは謝珠恵、作曲は寺田瀧雄、指揮は次のショーもおなじく塩田明弘。
柴田侑宏と言う人は非常に男性的な人だと思う。以前見た「琥珀色の雨にぬれて」が典型的な例だが、男役が中心、のように見えてどれも「 Femme fatale と彼女に振り回される男の話」になっている。そう考えると、源氏物語で何故トップ娘役が演じたのが紫の上ではなく藤壺だったのがよくわかる。
舞台は1938年のパリ、ちょうど第二次世界大戦直前だ。アールデコの時代だから、衣装が凝っているかと思えばそうでもない。ただ、あの時代らしい感じは出ている。この時代、パリにはいろんな亡命者がいた。ロシア革命から逃れて来た、スペイン内戦から逃れて来た、ドイツからナチスに追われてきたなど。そのナチスに追われて来たのが専科から来演の轟悠演じる今回の主人公ラヴィック、その友人でロシアからの亡命者ボリス・モロゾフを演じるのが雪組トップの望海風斗、トップ娘役の真彩希帆が演じるのはイタリアから来たジョアン・マズー、彼女がセーヌ川にかかるアルマ橋でラヴィックと出会ったところから話は始まる。
ラヴィックやボリスなど亡命者を泊めている Hotel International の女将に美穂圭子。彼女の歌を聴けるのは嬉しいが、独立したナンバー(アリア)になってないのが惜しい。又、フランス語で歌うところが出てくるが、カタカナを読んでいるようにしか聞こえない。英語・フランス語はそれらしく聞かせるのが難しい。なにもそこまでしなくても、と思ってしまった。また、シャンソンが引用されているのが良かった。僕が聞き取れたのは、「待ちましょうJ'attendrai」だけだったけど。
今回特に印象に残ったのは、寺田瀧雄の音楽の素晴らしさだ。この音楽を聴いているだけで、フランスを、パリを感じる。アコーデオンを多用した楽曲はいかにも日本人が思い描くパリ情緒を的確に表現している。それらの楽曲だけでなく、ティンパニのソロで緊迫感を出すところが素晴らしい。この楽曲の素晴らしさを表現するために塩田明弘を呼んできたのは正解。今回もドラマティックな音楽を聴かせてくれた。
主演の轟悠は、声が出ていない。しかし、存在感を演技力だけで見せていて十分納得させるだけの出来になっている。望海風斗のボリスはこの芝居の狂言廻しでもあるが、なかなか好演。「妖精」ジョアン・マズーを演じた真彩希帆がこの難役に挑戦し、見事な出来であった。
続くショーは作演出藤井大介の「Gato Bonito!!~美し猫のような男~」、幕開きに驚かされた。最初にせり上がってくるのはトップの望海風斗、かと思ったが、組長の梨花ますみだったのだ。しかし、彼女の歌声はなかなかのもの。いわゆるラテン、「黒塗り」のショーだが、結構楽しめた。塩田明弘が軽快なダンスナンバーでよく動いていた。なるほど、これをして「ダンシング・コンダクター」と巷では言われているのかと思った。でも、この程度でよく言うと思う。びわ湖ホールの芸術監督沼尻竜典がピットに入ると、マエストロ塩田よりよく動いている時がある。最後のパレードで、マエストロが背をかがめるようにしていたのは、流石宝塚の指揮者、である。
ただ、自分にとって残念なのは、6月30日と7月7日の2回観劇する予定だったが、雨の為7月7日の観劇が出来なかった事だ。6月30日は15:00からの回を見た。この時はe+の貸し切りで、開演前幕間終演後に司会者が出てきたが、彼女の話を聞いている人があまりいないのは毎度に寄って毎度の如く。最初に開演前に組長、終演後にトップの挨拶があったのは得した気分になれてよかった。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください
塩野七生の「想いの軌跡」と言うエッセー集を読んでいたら、ちょっと面白い事がかいてあったので初回してみたい。塩野七生は最初の作品である「チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷」から読んでいる。僕の好きな作家だ。
「書評とは、対象とした作品以上に書評を書いた人をあらわす」
その典型的な例が「トンデモ本」シリーズであろう。最初に「トンデモ本の世界」が出た時、世の中にこんな「ぶっ飛んだ」本が出ているのか、と驚いたと同時に「と学会」と言うグループと個々のメンバーがどんな人達が興味を持った。
これを「劇評」に置き換えると、よくわかる。僕は nifty serve の時からPCで劇評を見たり書いたりしているが、劇評をみるとその人の理解度がいっぺんにわかるのだ。勿論感心するような上出来の劇評も多いが、それと同じくらい、自分がいかに頭がわるいミーハーかを宣伝しているような劇評も多い。SNSでは、単なる悪口をupする人もいる。そこまで自分の性格の悪さを宣伝する事もないと思うが。中には「ネタバレご容赦ください」とあるが、決してネタバレしていないものもある。
これは孫引きであるけど
「ときには、嘘でしかあらわせない真実がある」ー芥川龍之介
次はフェリーニ、そう映画監督のフェデリコ・フェリーニ
「ローマとミラノでは、映画館に行く人の気分が違う。ミラノの人々は、教養を高めるために映画を観に行くが、ローマっ子は、愉しむ為に映画に行く」
これを書き換えると、
「東京と大阪では、文楽に行く人の気分が違う。東京の人々は、教養を高める為に文楽を観に行くが、大阪っ子は愉しむ為に文楽に行く」
だから大阪では「上手な浄瑠璃はよく寝られる。下手な浄瑠璃は寝てもいられない。上手過ぎる浄瑠璃は寝ている暇が無い」と言う。
次はヴィスコンティに関する文章の中から
「いつか男たちだけを書いて、つまりベッドシーンを書かないでいて、官能的な作品を書くのがわたしの夢だと言ったら、ヴィスコンティは、これまでついど見せたこともない優しい微笑みを浮かべてわたしを見た。」
最後はおまけ。
「文学は最も下世話な経済学だと言えます。逆に文学を知らない経済学者は単に理論に忠実なだけで、確実に経済の実態を見誤るでしょうから、そういう人の勧める株は買わないに越した事はありません。―島田雅彦「深読み日本文学」
僕はこの箇所を読んで思わず笑ってしまった。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください
もう、本格的な夏ですね。毎日暑い、と言うより蒸し暑い、と行った方が正確でしょう。
僕は屋外で仕事する事が結構あります。ただ、屋根はあるし、扇風機、スポットクーラーが使えるので、ちょっとはましです。職場の上司や同僚は、暑さにきをつけてくださいと言ってくれます。ありがたい事です。
でも、本当は寒い時の方がつらいのではないかと思っています。職場でも水を使う仕事をしていますが、冬は寒くて、終わった後、お湯で手を温めています。
家もそうです。我が家の電気代は冬の方が圧倒的に高い。寒いからとエアコンとファンヒーターを同時に使えば、そりゃ電気代もかかるでしょ。その上、日照時間が短いから照明に電気を使う。
反対に、僕は夏エアコンをあまり使いません。それは、使わずとも耐えられるし、使うとエアコンを使っている部屋から出られないし、エアコンをつけたまま寝ると起きたとき身体がだるい。使うときは、夜帰宅してから暫く、その内外の気温も下がってくるので、エアコンを切ります。
このところ話題になっているのが「ヒートショック」。これは、冬に部屋によって温度が違っている事が原因です。それに、人が亡くなるのが多いのは夏よりも冬の方が遙かに多い。
日本の家は夏向きに作れと言いますが、僕は冬向きに作った方がいいのではないかと思っています。風通しが良いようにすかすかに作ると、暖房が効きにくい。それよりも、しっかりとすきま風は入らないように造った方がいいのではないかと思っています。
今住んでいる家は、断熱性・気密性に優れています。そのせいで、夏冬ともにエアコンがよく効きます。また、風の通りを考えて作ってあるので、窓を開け放せば、風が通って結構涼しい。従来の日本家屋のようにすかすかではなく、機密性を考えた家の方がいいのではないかと、思います。
これが気に入ったら下記を「ぽちっとな」とクリックしてください
観劇 ブログランキングへ