観劇日10月14日(土) 17:30開演 2等席3階2列22番
この芝居は当代幸四郎が九代目を襲名してすぐに演じた歌舞伎以外の演目で、初演から今年で35年目。幸四郎を言う名前で演じるのが今回で最後になる。来年は白鴎を襲名するから。
映画化され世界的にヒットしたが、元々は舞台劇、僕は映画は見たことがあるが、舞台を見るのは初めてだ。前から見たかった芝居だけど、関西にはなかなか来てくれず、来ても観劇料金が高価で手が出なかった。今回、やっと2等席6000円で見る事が出来た。
配役は、 サリエリ・・・・幸四郎、モーツアルト・・・桐山輝史(ジャニーズwest)、コンスタンツェ・・・大和田美帆 など
劇場に入ると、ストレートプレイでは慣例のようになっているが、緞帳・カーテンの類いがなく、装置がはじめからわかるようになっている。車椅子に誰か座っているような様子。物語は映画とほとんど同じ。映画では、モーツアルトとサリエリが両方主役みたいだが、舞台劇ではサリエリが主役、2時間半ほどの芝居の内、主役のサリエリがほとんど出ずっぱり、しゃべり詰め。見ているだけでも、膨大な台詞の量だとは容易に推察できる。とにかく、サリエリに掛かる比重がとても多い、サリエリの出来でこの芝居の出来が決まるようなものだ。
初めの方で、サリエリが晩年の姿から壮年の働き盛りの姿へと一瞬で変わる所は驚いた。劇場がどよめき拍手がわいた。「ケレン」めいた事はここだけ、後はただただ台詞のみによって芝居が展開していく。この芝居、よほど台詞術がよくなければ勤まらない。
映画を見ていると、これは「モーツアルトとサリエリ」の話になっているが、このオリジナル版では、モーツアルトとサリエリはあくまでダシ、神はどれだけ不公平なのか、と言う話になっている。テーマはこのサリエリの台詞に一番よく現れている「神を嘲る事なかれだと、とんでもない、その前に人を嘲るなかれだ。」
欧米ではまだまだ「神は生きている」のだ。僕はとっくの昔に「神は死んだ」と思っていたのに。(この「神」と言うのはキリスト教の神である。)この日本のようにキリスト教国ではない国ではこのテーマはあまりピントこないのではないか。この芝居は日本初演から35年、上演回数は450回と言う。日本でこれほど受け入れられているのは幸四郎の演技が素晴らしいからではないだろうか。
この世の中は不条理なものだ。敬虔で真面目で人間性も良いからと言って才能に恵まれるとは限らない。この芝居のように、サリエリに与えられた才能は、天才を見抜く力のみ、音楽の才能はモーツアルトに与えられた。だからこの芝居は、「サリエリ」でも「モーツアルト」でもなく、「アマデウス」、つまり「神に愛された者」なのだ。いっその事、皇帝のような凡人なら救いもあるのに。
結局この芝居がもたらした最大の功績は、おもに19世紀が作り上げたモーツアルトのイメージを一新した事だろう。確かに作った作品は天使のように清らかだが、作った本人は下ネタ大好きな軽佻浮薄。それは良いとして、史実で無い事が結構多い。
映画版はウィーンでも大いに当たったと言う事だ。これは私感だが、この映画の成功が、ミュージカル「モーツアルト!」の制作の動機の一つになったのではないか。このミュージカルでは、サリエリは出てこない。その代わりに大きな役割を果たすのは父親である。また、少なくとも、「アマデウス」よりは史実に正確である。
この芝居、圧倒的に幸四郎が素晴らしい。それにつきる。客席はほとんど、9割くらいが女性である。いつもの歌舞伎をやっている松竹座とは違う劇場のようだ。それは、モーツアルトを演じる桐山輝史がジャニーズwestのメンバーだから。しかし、幸四郎の圧倒的な芝居を前にしては、ジャニーズのファンでも幸四郎を無視して桐山に声援を送る事はできなかったようだ。
大阪松竹座ではジャニーズの公演が毎年ある。どんなものだろうか。9割を越す女性が湧いたり騒いだりしたらさぞ恐ろし事だろう。ジャニーズファンの男性も少数ながらいるに違いない。もし、彼らがそこにいたら、恐怖に思うか、肩身の狭い思いをするだろう。
そこで思い出したのが、福山雅治が男性のみを対象としたコンサートを開催している事だ。彼には一定数の男性ファンが存在するのだろう。そんな彼らが恐怖を感じることなく、肩身の狭い思いをする事なく自分の演奏を楽しめるように男性のみのコンサートを開催するのだろう。9割を超える女性を見ながらそんな事を考えた。ちなみに、福山雅治の男性のみのコンサートでは、MCが下ネタ満載になると言う事だ。さもありなん。
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